MainPage〜旅行記〜
~ぶらり北九州独り旅旅行記 2010~

第4回『吉野ヶ里遺跡編その3』

吉野ヶ里遺跡の残り

さて、吉野ヶ里遺跡と言えば北墳丘墓よりも、主祭殿のほうがイメージする人は多いかと。 そんな、主祭殿ですが・・・

どうやら、写真を紛失したようですorz

この主祭殿は、中に入って見学が出来て、中には「マネキン人形で当時の雰囲気を再現!」とか展示されています。 というわけで、主祭殿を後にします。

すると、王の住居群ですな。 吉野ヶ里遺跡は、いろいろな説明を聞く限り、自治会でその一番えらい人が司祭で、自治会の区長に当たる人が王と呼ばれていた様な雰囲気と自分は捉えました。 で、その王達の住居跡が、主祭殿の側にあります。

回りはこんなで

中はこんな

余談ですが、吉野ヶ里遺跡の復元は竪穴式住居の様ですね↓。

静岡県の登呂遺跡は↓こんな感じの住居ですが、こちらはなんと呼ぶでしょう?

ある一定の年齢層では、こちらも竪穴式と呼んでいますが、 今は、盛土平地式住居と呼ぶそうな。
竪穴式住居は地面を掘ってその上に屋根を載せるタイプ。盛土平地式住居は、地面に数十センチの盛り土して、さらに穴を空けた上で屋根を載せるタイプだそうな。
ちなみに、掘ると地下水が出てくるような地域だと、後者の住居が多いとか。
遺跡めぐりをしていると勉強になるなぁ・・・

閑話休題、先ほどの王の集落の写真の、右奥にある物見櫓に登ると、主祭殿や

市場跡などが見渡せます。

それにしても、広いです。

その他にも色々と展示物はあり、それらを見て回ったりしました。

しかし、親戚との待ち合わせの時間もあったので、市場などを見て回る時間も無く 正味2時間の見学で吉野ヶ里遺跡を後にしました。

ちなみに、佐賀に向かう電車の中から、吉野ヶ里遺跡は見えます。